Grumbling of ane's mind

はぁ~・・・とため息をつくような心のボヤキをありのままに。姐の裏側を少し(笑)

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■ もうひとつのサイパン

23日からサイパンにダイビングに行ってきた♪
じめじめした梅雨の日本を脱出!!!・・・のつもりが、日本も結構夏日だったらしい。
なんだか悔しい(笑)

最終日26日のフライトが夕方17:00だったので、ほんの3時間だけど、初めてのサイパン観光をしてきた。
うーん、実際は多分はじめてサイパンに行った1994年にもしたのだろうけど、全くもって記憶がない^^ゞ
ということで、あくまでも“初めて”で。


チェックアウトをさっさと済ませ、レンタカー屋の愛想の悪いおばちゃんに頭に来た姐は、同じ位愛想悪く話をし(笑)一番安いTOYOTAの車を借りて、いざ出発。3時間しか時間がないので、行く先は、「バンザイクリフ」と「タポチョ山 山頂」の2つだけに決めた。

実際小さな島で道もそんなにないので、もらった観光用の地図で充分だ。
グロットに行くのにとおり慣れた道をエアコンの効いた快適な車で走っていく。
市街を離れ北の方へ進み、フレームツリーの赤がまぶしいあたりを通り過ぎると、最初の目的地につく。


今回の天皇陛下訪問で注目を浴びた「中部太平洋戦没者の碑」、「おきなわの塔」、「太平洋韓国人追念平和塔」をゆっくりと見た。

「太平洋韓国人追念平和塔」近くのラストコマンドと呼ばれる日本軍最後の司令部跡には、韓国人観光客がグループで来ていた。どのように韓国の方々に説明がされているんだろう。・・・なんとなく、気になった。

「おきなわの塔」では5月に行った古謝美佐子さんのコンサートで、彼女が話していたサイパン戦、沖縄戦の話を思い出した。
おきなわの塔


そして、「中部太平洋戦没者の碑」。ちょうど後ろには遺族の方々が作ったのだろう小さな墓石や塔婆がおかれ、その位置から見上げたところに「スーサイド・クリフ」の断崖絶壁がそびえ立つ。
中部太平洋戦没者の碑

「中部太平洋戦没者の碑」は、骨壷の形をしていた。塔ではなく、石の骨壷。この遺骨を象った慰霊碑に手を合わせた。今の私たちは、ここで命を落とした方々のその歴史の後に存在しているということを実感する。
遺骨を象った碑


そこから5分ほどでバンザイ・クリフに着く。両脇が緑で覆われたバンザイ・クリフへのカーブを曲がると目の前に白く続く道と青い海が見え、「わぁ~!!*^^*」と言いたくなる景色が広がる。
でも、その時の姐にはその海はいつもの海とは違う、別の生き物のようにさえ見えた。


車を降り、手前からひとつひとつ慰霊碑を見ていく。
地域で戦没者を偲ぶもの、学校の同窓生が建てたもの、沢山の慰霊碑が建っていた。
いくつもの慰霊碑が建ち並ぶ


バンザイ・クリフを望みこむ展望台に立って下を見る。
太平洋戦争中に米軍に追われ、このまま捕虜になるくらいなら自分が太平洋の防波堤になると自ら飛び込んだ人達。この高さから、あの海へ。
ここから身を投げたと言う・・


前の日、姐はダイビングでこのバンザイ・クリフを潜っている。その時、偶然、上では慰霊会のようなものを行っていて、沢山の年配の方々が献花したりお酒をかけたりしているのを、海上から見上げていた。
献花を行っていた遺族の方々の気持ちが偲ばれる。


慰霊碑の前で手を合わせると涙が出てきた。こんなことは初めてだった。
姐自身、自分の心の整理がついてなく、そんな自分に驚いたりしてる。
いろんな感情が湧き上がってくるけど、わかっているのは「悲しい」ってことだ。悲しくて、わんわん泣きたい気持ちになる。今も、思い出すと悲しくなってくる。何故、そんなにも悲しいのか・・・・。「戦争」を、そして「戦争で失った人を思う人達」を、目の当たりにしたからかもしれない。しかも「戦争」なんて想像も出来ない空と海と空気の、常夏の美しい島で。ともかく、ものすごく切なかった。
バンザイクリフの慰霊碑



それから、タポチョ山頂へ向った。
タポチョ山頂へは20分くらいかな、近い、近い!!^^
島らしく、完璧に整備されていない道を下ったり上がったりしながら進むと、小さな駐車場に到着。
明らかに雲が近くなっている。そして、ほんのちょっとの階段を上ると頂上だ!!

「すっごーい!!!!!」
マニャガハ島があんなに小さく^^


本当に360度、島を見ることが出来た!!島を囲む珊瑚礁の海、テニアン島、飛行場にガラパン地区。
遠くにガラパンが♪


時間的には15分位しかいられないことがわかっていたけど、来た甲斐ありだよ~、これ!\(^o^)/

あれ、もうちょっと先にも行ける?!
外国人が更に先の方にいたので、行ってみた。
・・・・ここにも、太平洋戦争の歴史があった。そりゃそうだ、これだけ島全体を見渡せるんだから。
いくつかの写真によって、その説明がされていた。
中途半端に間違ったことを書きたくないので、その内容は書けないけど、そこには米軍兵の言葉もあった。その言葉も辛いものだった。


車を愛想の悪いおばちゃんに返し、ホテルに戻ると5分後にPickUpが来て、飛行場へ。
サイパンの旅は充実のうちに、終わった^^
もうひとつのサイパン

多分、初めてサイパンに行った1994年だったと思う。
姐がサイパンに行く前か、帰ってきてキャーキャー言っていたかの時、父が言ったことがある。

「お父さんとかはな、サイパンっていうと、戦争っていう感じでな、そういう気持ちにはなれないんだよ」

と。

その時の姐のテンションに対して、父の神妙な中に静かな怒りが宿っているような物言いがすごく印象に残っていて、忘れられないでいた。サイパンっていうと何となく・・・・・思い出していた。
それ以来、今回で5度目のサイパンだけど、父とはその話をしていない。姐の中には「お父さん、また良く思ってないかな^^;」なんて後ろめたさもあったりして。父は1939年生まれ、満州で幼稚園時代を過ごしている。
姐が毎度、ダイビングという言わば遊びで行くことを咎めることはしない父。でも、その胸中には父にしかわからない思いがあるのだろうということに、今回の旅で気付くことが出来た。
その“思い”が何なのかは今の時代を生きる姐には到底わからないことだ。でも、そういう“思い”を抱えて生きている人が、今の時代にも沢山いるっていうことを忘れてはいけないんだと思う。

今度、父に聞いてみようと思う。
父が、その思いを話してくれるかどうかはわからないけれど。
そして、今度バンザイ・クリフを潜る機会があったなら、ほんの一瞬でも一番近い海の中でちゃんと手を合わせたいと思っている。
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